釈迦堂御開扉

我が釈迦塚町の釈迦堂では7年毎に本尊御開扉の法要が行われます。去る17日、猛暑の中営まれました。釈迦堂本尊は釈迦如来立像です。わずか5.4㎝の金銅仏です。釈迦塚新田開基の浅野家の持仏です。浅野家は近世全期に亘って一回の転勤もなく肝煎・名主を勤めていました。維新後も戸長・区長として大正7年、釈迦塚を引き払うまで村長(むらおさ)として治めていました。

もともと浅野家は旧姓寺本といい、山城国深草の城主で、また村民はその家臣でした。足利義輝の暗殺、この時祖父寺本忠直が殉死。足利義昭の擁立のため奈良興福寺にいた覚慶(のちの将軍・義昭)を救出に向かった叔父・直次は重症を負い、武士の道を絶たれ出家、織田信長と三好・松永の対立で六条河原の戦で父・直勝が戦死、明智光秀による織田信長の暗殺など戦乱のたびに巻き込まれ、山城国深草の領地を失い、主従は近江に隠遁。浅野正八郎15歳のときに敦賀・高浜で溝口公にお目見え、その与力の将として加賀・大聖寺、を経て1598年溝口公に従い新発田へ入りました。

義昭を興福寺救出の功によって直次に与えられた覚慶の持仏が現在の釈迦堂の本尊と伝えられています。のちに直次(改め来源)が父の遺品と共に越後に送り届けてくれました。遠い昔、新羅から伝来の金銅仏と伝えられています。その御開扉は以前は浅野家で行ってきましたが、栃木転居後の昭和7年以後は釈迦塚村で7年毎に浅野家の人たちを招待して営んで来ました。

なお、釈迦堂は1636(寛永13)年に建立され、1781(天明元)年の再建、現在に至っています。

釈迦堂全景

 

 

 

1307歌碑と釈迦堂前日の飾り付け

HDC-508X/509 ExifImage Title当日朝

HDC-508X/509 ExifImage Title僧侶入堂

HDC-508X/509 ExifImage Title読経始まる。施食会というそうです。

HDC-508X/509 ExifImage Title神妙に読経を聴く

HDC-508X/509 ExifImage Title

 

 

 

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