古文書講座 (第102回)

第101回で文久元年酉年「内親王和宮様中山道御通輿一件諸事覚」は終了しました。

結局近郷村々と談合した結果、助郷人馬は賃銭雇いで御免し願うことに決着して、代表が江戸表へ申し開きのため出発するのである。その記述は村松領見附町組大庄屋金井家、同葛巻組肝煎刈田家、同本所組肝煎三本家の文書に引き継がれ、残されている。

そこで、釈迦塚新田名主浅野正八郎は前述の村松藩の代表、新発田藩中之島組の代表たちの付き添いとして江戸登りに付いて行ったのである。昌平黌に遊学したこともあり、江戸に友人、知人も多いことから同行を依頼されたものと思われる。ただ正八郎はそのための心労か翌年文久2年5月47歳で亡くなったのである。

因みに、新発田領中之島組の江戸上りの諸経費が元利ともで644両3分1朱、永35文5分2厘が新発田藩郡奉行所に報告されている。

カテゴリー: 古文書講座   パーマリンク

コメントを残す