釈迦塚歴史考

古文書講座 (第63回)

古文書講座 (第63回)

本編063写真

解読編

御免願立候図り、右願に登り候はゝ御近領

おゆるしねがいたてそうろうつもり、みぎねがいにのぼりそうらはばごきんりょうも

同様為願候方可然旨申居候由

動揺願わせ走路方しかるべきむねもうしおりそうろうよし

一 長岡御領の内上組・北組・河根・栃尾組、右

ひとつ ながおかごりょうのうちかみぐみ・きたぐみ・こうね・とちおぐみ、みぎ

五ヶ組へ助郷願立候趣

ごヶくみへすけごうねがいたてそうろうおもむき

一 塩名田宿は小諸御領故長岡様へ御加

ひとつ 塩なだしゅくはこもろごりょうゆえながおかさまへごか

勢御頼越に付、右人馬槙組・曽根組へ明日二日

せいおたのみこしにつき、みぎじんばまきぐみ・そねぐみへあすふつか

郡役所より御達の由、人馬は不分り且

ごおりやくしょよりおたっしのよし、じんばはふわかりかつ

※ 槙組は巻組か?

※ 小諸藩は長岡牧野家の分家

古文書講座 (第62回)

古文書講座 (第61回)

本文061写真

解読編

酒井様御出先へ罷出御助郷御免願致候

さかいさまおでさきへまかりいでおんすけごうおゆるしねがいいたしそうろう

図りにて朔日出立の趣

つもりにてついたちしゅったつのおもむき

一 脇野町へ聞合として北村木村伝次右衛門

ひとつ わきのまちへききあいとしてきたむらきむらでんじうえもん

罷越、同人出先より申越には実否不分り

まかりこし、どうにんでさきよりもうしこすにはじつひふわかり

故、脇野町より出雲崎へ御聞合に相成候得共

ゆえ、わきのまちよりいずもざきへおききあいにあいなりそうらえとも

今以不分りの旨、尤脇野町にては郡中

いまもってふわかりのむね、もっともわきのまちにてはぐんちゅう

庄屋惣寄評議の上事実候はゝ、助郷飽迄

しょうやそうよりひょうぎのうえじじつそうらはゝ、すけごうあくまで

※ 酒井様 道中奉行、酒井隠岐守

※ 脇野町 当時幕府代官所があった

古文書講座 (第61回)

古文書講座 (第61回)

本編061写真

解読編

写以願立候趣、同日北御蔵御代官并

うつしをもってねがいたてそうろうおもむき、どうじつきたおくらおだいかんならびに

詰合割元左之助郡役所へ御呼出御達、

詰め合いわりもとさのすけこおりやくしょへおよびだしおたっし

尤是迠例も無之、其上江戸表より御申送りも

もっともこれまでれいもこれなく、そのうえおもうしおくりも

無之に付、脇野町・与板へ聞合方御達、江戸

これなきにつき、わきのまち・よいたへききあいかたおたっし、えど

表に御伺、三日着御飛脚先月廿九日早

おもてにおうかがい、みかちゃくごひきゃくせんげつにじゅうくにちそう

朝御差立の趣

ちょうおさしたてのおもむき

一 与板へ聞合候処、組々より惣代庄屋壱人つゝ

ひとつ よいたへききあいそうろうところ、くみぐみよりそうだいいちにんづつ

古文書講座 (第60回)

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本編060写真

解読編

八幡始両宿問屋共義、右一件渡町枡屋を以

やわたはじめりょうやどといやどもぎ、みぎいっけんわたりまちますやをもって

郡役所へ頼立、御印状は跡より持参

こおりやくしょへたのみたて、ごいんじょうはあとよりじさん

の趣、右一件割元黒津村左之助委細承

のおもむき、みぎいっけんわりもとくろづむらさのすけいさいうけたしょう

知の旨申聞に付直様同人方にて佐之助へ面

ちのむねもうしきくにつきすぐさまどうにんかたにてさのすけへめん

会の上承合候処、左の通申聞候

かいのうえききあいそうろうところ、さのとおりもうしききそうろう

開の上聞き合いそうろうところ、さのとおりもうしききそうろう

一 先月廿八日八幡・塩名田両宿問屋義、渡

ひとつ、せんげつにじゅうはちにちやわた・しおなだりょうやどといやぎ、わたり

町枡屋を以、郡御奉行所へ助合御印状

まちますやをもって、こおりぶぎょうしょへすけごうごいんじょう

※ 助合は助郷か?

古文書講座 (第59回)

古文書講座 (第59回)

本編059写真

解読編

の由にて参り、塩名田問屋近日尋参候はゝ、渡町

のよしにてまいり、しおなだといやきんじつたずねまいりそうらはゝわたりまち

枡屋に止宿の旨、為知呉候様頼置、其後

ますやにししゅくのむね、しらせくれそうろうようたのみおき、そのご

何者不申参、且塩名田は小諸領分の趣、

なにものまいりもうさず、かつしおなだはこもろりょうぶんおおもむき

御継立の節御入用に候哉、小諸様より長岡様へ

おつぎたてのせつごにゅうようにそうろうや、こもろさまよりながおかさまへ

蝋燭御頼越にて御見舞として蝋燭

ろうそくおたのみこしにておみまいとしてろうそく

本馬にて弐駄、先月廿九日御送りの旨申聞候

ほんばにてにだ、先月にじゅうくにちおおくりのむねしんぶんそうろう

一切御蔵番義右衛門方へ罷越聞合候処、

いっさいおくらばんぎうえもんかたへまかりこしききあいそうろうところ、

古文書講座 (第58回)

古文書講座 (第58回)

本編058写真

解読

乍恐口上

おそれながらこうじょう

和宮様御継立人馬中仙道八幡始五ヶ

かずのみやさまおつぎたてじんばなかせんどうやわたはじめ五ヶ

宿へ助郷被仰付候趣、右宿より

しゅくへすけごうおおせつけられそうろうおもむき、みぎやどより

酒井讃岐守様御尊書持参いたし候一件、

さかいさぬきのかみさまごそんしょじさんいたしそろういっけん

長岡表模様聞合方被 仰付、同所へ罷

ながおかおもてもようききあいかたおおせつけられ、どうしょへまかり

越、新町問屋甚左衛門へ承り候処、右助郷

こし、しんまちといやじんざいもんへうけたまわりそうろうところ、みぎすけごう

不申参候得共、先月二十七・八日頃八幡問屋

おいりもうさずそうらえとも、せんげつにじゅう七・八日ころやわたといや

※ 問屋 といや、とんやとも読む

見附郷土誌に掲載「延喜天暦間釋奠図巻」

当ブログ古文書講座講師の淡路久雄氏が見附郷土誌第18号に掲載した「延喜天暦間釋奠図巻」についての論文をサイトを別に全文掲載いたしました。

  • 10月11日に早稲田大学大学院の村山吉廣教授がお見えになります。安積艮斎撰文『誠斎記』の「解題」「原文」「訓読」「口語訳」をしていただきました。先生の論文につきましても掲載の許可がいただけたら、このサイトで公開させていただく予定です。
  • 早稲田大学の村山先生は安積艮斎撰文『誠斎記だけでなく釈迦塚淺野家文書の内、一点だけ無関係と思われた「延喜天暦間釋奠図巻」についての解読に協力をいただき、あらためてその重要性を認識するにいたった過程と解説を淡路久雄氏の見附郷土誌第18号(2010年2月)に投稿されました。その全部を掲載します。

古文書講座 (第57回)

古文書講座 (第57回)

本編057写真

解読編

間、何分宜御取合被仰立被成下度

あいだ、なにぶんおとりあいおおせたてられなしくだされたく

奉願上候 以上

ねがいあげたてまつりそうろう

庄屋 星野十郎左衛門

々 大竹 英治

酉十一月二日

御手代様方御宛

※ 藩に幕府にとりなしてもらうように御願いした文書です

古文書講座 (第56回)

古文書講座 (第56回)

本編056写真

解読編

振承合候所、右村方にても莫大の人馬高

ふりうけあいそうろうところ、みぎむらかたにてもばくだいのじんばたか

助郷引請候義にては難立行亡所仕候寄外

すけごうひきうけそうろうぎにたはたちゆきがたくぼうしょつかまつりそうろうよりほか

無之に付、飽迄も御領主様へ御赦免

これなきにつき、あくまでもごりょうしゅさまへごしゃめん

御願立申上候趣に御座候、格別御慈悲の

おんねがいたてもうしあげそうろうおもむきにござそうろう、かくべつおじひの

御沙汰を以、組村歎願の通り御赦免被成

ごさたをもって、くみむらねがいのとおりごしゃめんなされ

置候様、偏に奉縋上候、乍恐嘆願書

おきそうろうようひとえににすがりあげたてまつりそうろう、おそれながらたんがんしょ

相添其段各様方迄以添口上書奉申上候

あいそえそのだんおのおのさまかたまでそえこうじょうしょをもってもうしあげたてまつりそうろう

※ 亡所=村がなくなること

※この項は、たとえ現地で人足を雇って助郷役を勤めようとしても村が消滅してしまうほどの莫大の経費がかかるので、殿様を動かしそちらのほうから助郷役を許してもらえるよう運動して欲しいと、御願いした文章です。 

古文書講座 (第55回)

古文書講座 (第55回)

本編055写真

解読

助郷被仰付候御儀にては組村難立行

すけごうおおせつけられそうろうおんぎにてはくみむらたちゆきがたく

差当り雇賃銭数千両の高に可有

さしあたりやといちんせんすうせんりょうのたかにござあるべく

御座、迚も手に合兼候次第歎ヶ敷奉存候

とてもてにあいかねそうろうしだいなげかわしくぞんじたてまつりそうろう

依之重々奉恐入候御義に奉存候得とも、組

これによりじゅうじゅうおそれいりたてまつるおんぎにぞんじたてまつりそうらえとも、くみ

村存亡に相抱候、太義は奉存候間、彼地へ御出

むらそんぼうにあいかかえそうろう、たいぎはぞんじたてまつりそうろうあいだかのちへお

張被成下置、願の通御赦免被成下置候

ではりなしくだされおき、ねがいのとおりごしゃめんなしくだされおきそうろう

様奉歎願候、与板御領分中野村へ取計

ようたんがんたてまつりそうろう、よいたごりょううぶんなかのむらへとりはからい

※助郷人足の対策は、現地での人足を雇ったとしても賃銭支払いが数千両に上っては村々がやっていけなくなるので、何とかこのことは許してもらう方法を探しているのが分ります。