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延喜天暦間釋奠図巻について
見附郷土誌 第18号 2010年2月    見附の歴史研究会
見附市釈迦塚 淡路久雄
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「延喜天暦間釋奠図」(えんぎてんりゃくかんせきいぇんのず)掲載にあたって
釈迦塚区有浅野家文書の中に「延喜天暦間釋奠図」という非常に長い絵巻物があることは承知していましたが、あまりにも長いため一年一回の古文書の虫干しにも最後迄開いて見る事はありませんでした。公会堂の集会室は長さが10.8mありますが目いっぱい広げてもまだ3分の1残ります。ただ2002年に一回終りまで広げて写真を撮りました。そのとき分ったことは最後に跋文が2編あってそこに曰く有りそうな文章が漢文で書かれてあったと言うことと、絵巻には落款がなく誰が書いたか分らなかったというので、それ以上詮索しないで今日まで来たわけです。
昨年10月に早稲田大学名誉教授の村山吉廣先生が前述の安積艮斎(あさかごんさい)文・書の「誠斎記」の実物を御覧になりたいということで、わざわざ釈迦塚町まで足を運んで下さいました。その際、この「延喜天暦間釋奠図」の最後の跋文2編を写真でお持ち帰りいただきました。
その後直ぐ村山先生から訓読と口語訳さらに解説を記した手紙がとどきました。跋文の内一つは丹羽思亭の紹介(市島泰書)、もう一編は丹羽思亭(積善堂)の書で、この巻物の誕生の経緯が書いてありました。それによるとこの図巻は江戸・湯島の刈谷氏の所有するもので、そのすばらしさに感動して書写する許しを請い、許されて書き写したとあり、書写に当っては描写、彩色、文字と三人であたったこと、と書いてありました。これでこの図巻に落款(らっかん)が無いのも肯(うなず)けました。
延喜天暦年間に行われた孔子祭という宮中の行事の有り様が書かれた絵巻が、200年前に写され、更に現在は刈谷氏の原本が所在不明というなかで、写しとはいえ我が釈迦塚町に存在するというすばらしさをもっと多くの人に知ってもらいたいと思い、見附の歴史研究会発行の『見附郷土誌』に村山先生に許可をもらい掲載をすることにしました。また、もっと広く知ってもらうためにHP「釈迦塚歴史考」にも載せることにしました。
不思議なご縁で村山吉廣先生には、私どものお宝再発見にご指導ご協力下さいました。ほんとうに有難うございました。
ここに至るまでHP「釈迦塚歴史考」から『釈迦塚の歴史』の中の安積艮斎を見付け、私どもにご連絡下さり、更に村山吉廣先生を紹介下さった福島市の上木みつ様にも感謝御礼申し上げます。 最後にこの「延喜天暦間釋奠図」は、浅野儀右衛門・正八郎の父子が学問の師、丹羽思亭(新発田町)から形見として「積善堂遺文」とともに戴いたものです。
  
淡路久雄

(注)見附郷土誌に掲載の写真は白黒ですが、ここではカラーの写真を合成して使いました。
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